国の安全保障を考えるとき、直感的には「必要なものを自国で生産する」という発想がある。依存を減らせば、脆弱性も減るという考え方だ。この発想はほとんど自明に見えるため、政治的にも強い力を持つ。だが、シンガポールの事例はそれほど単純ではない。国土が極めて限られたこの都市国家は、完全な自給自足を基本原則にせずとも、水供給を大幅に強靱化することに成功した。同時に、地理的条件が不利なとき、食料自給を追求することがどれほど高くつくかも経験している。

したがって本当の教訓は「輸入すべきだ」でも「国内生産すべきだ」でもない。より重要なのは、資源の安全性はその産地よりも、たった一つの障害で全体が止まらないようにできるかどうかに左右されるという点だ。水、エネルギー、食料について、フランスも今後こうした問いをますます突きつけられるだろう。

シンガポールの水:閉じこもらずに安全を確保する

シンガポールは、ほとんど極端ともいえる条件から出発している。大河も氷河もなく、豊富な天然水資源もない。雨水の貯留でさえ、国土の狭さに制約される。そこで国外への依存をすべてなくそうとするのではなく、同国は「Four National Taps」と呼ばれる四つの補完的な水源を軸に仕組みを構築した。すなわち、国内集水、輸入水、再生水NEWater、そして海水淡水化である。

国内集水は徹底している。国土のおよそ3分の2が集水区域として利用され、約8,000キロメートルの運河や排水路が雨水を17の貯水池へ運ぶ。一方でシンガポールは、1962年に締結され2061年まで有効な協定に基づき、マレーシアのジョホールから原水を輸入し続けている。この協定では1日最大2億5,000万ガロンの取水が認められている。

この受け入れた依存に加えて、天候変動により強くなるよう設計された二つの水源がある。2002年に開始されたNEWaterは、主に精密ろ過、逆浸透膜、消毒を利用している。この工程には15万回を超える科学的試験が実施されてきた。また同国には逆浸透膜方式の海水淡水化施設が5か所あり、2022年4月に開業したジュロン島の施設もその一つだ。

この仕組みが興味深いのは、理念上の「純粋さ」を求めていない点にある。国内資源、国境を越えた輸入、二つの産業技術を組み合わせている。それぞれに制約はあるが、組み合わせることで、一つの問題が国の存続に関わる危機へ発展するリスクを下げている。

安全保障とは、必ずしも依存がないことではない。一つだけの依存先に縛られないことでもある。

食料は問題のもう一つの側面を示す

対照は鮮明だ。シンガポールは食料の90%以上を、187の国・地域から輸入している。それでも1980年代には、卵、鶏肉、豚肉で自給を達成していた。しかし土地不足によって農場数は徐々に減少した。現在、農業に使われているのは国土のおよそ1%にすぎない。

この脆弱性に対応するため、政府は2019年に「30 by 30」という目標を掲げた。2030年までに栄養需要の30%を国内生産で賄うというものだ。魅力的な目標だった。外的ショックで供給が途絶えるのではないかという、理解しやすい不安に応えるものだったからだ。ロシアとウクライナの戦争は、食料供給網がどれほど相互につながっているかも示した。シンガポールは両国から直接卵を輸入していたわけではないが、飼料価格の上昇によって卵の価格も上がった。

問題は、安全保障政策そのものがコストと脆弱性を生み得ることだ。I.F.F.IやVertiVegiesのようなアグリテック企業を含む複数の国内農場が閉鎖した。見直しの結果、シンガポールは「30 by 30」を撤回し、2035年に向けてより分化した目標へ移行した。「食物繊維」は国内生産20%、「たんぱく質」は30%である。

2024年の数字を見ると、なぜ難しいテーマなのかが分かる。国内生産は食物繊維カテゴリーの8%、たんぱく質カテゴリーの26%だった。内訳では、消費された野菜のうち国内産はわずか3%で、卵は34.4%、水産物は6.1%だった。つまり、自給という同じ目標の中でも、すべての生産物が同じ条件にあるわけではない。

「すべてを国内で作る」という罠

ブルネイも別の警告を与えている。コメ自給率の向上に何年も投資したにもかかわらず、国内生産比率は2017年の4.8%から2024年の8%に上がっただけだった。経済学者Peter A. Coclanisは、公的議論でしばしば抜け落ちる点を強調する。安全保障を絶対的に優先する戦略は、機会費用を見落とす可能性がある。つまり、資本、土地、労働を使って、別の方法ならより効率的に入手できるものを国内生産することで、何を諦めるのかという問題だ。

ここで「自給自足」という言葉が紛らわしくなる。そこには二つの異なる目標が混在している。すなわち、供給断絶を生き延びる能力を持つことと、消費量のすべてを恒常的に自国で生産することである。前者は備蓄、予備能力、最低限の国内生産、複数の供給者を正当化し得る。後者は、希少な資源を構造的に高コストな活動へ投入することにつながり得る。

フランスにとって本当の問い:どの依存を受け入れるのか

フランスの事情をシンガポールにそのまま重ねることはできない。国土、資源、経済が大きく異なるからだ。ただし、考え方の枠組みは応用できる。重要資源ごとに、独立と依存を機械的に対立させるのではなく、三つの問いを立てるべきだ。供給源はいくつあるのか、そのうち同時に停止し得るものはどれか、そして予備能力のためにどれだけの費用を支払う覚悟があるのか。

水については、天然資源そのものと、それを集め、処理し、再利用し、配給するシステムの強靱性を分けて考える必要がある。エネルギーについては、国内生産を増やしたいという意向と、複数の供給経路を維持する必要性を分けることになる。食料については、戦略的に国内生産すべきものと、貿易の方が効率的なものを区別しなければならない。

この枠組みは一つの答えを押しつけるものではない。むしろ危険な反射的思考を避けるためのものだ。国内生産だから安全だと考えるのは誤りになり得る。一つの地域に集中し、同じ投入物や同じ技術に依存する国内生産は、複数の供給源に分散した調達より弱い場合がある。

逆に、経済効率を盲目的な依存の口実にしてもいけない。安価でも代替手段のない供給網は、壊れた瞬間に極めて高くつく。したがってシンガポールの教訓は、見た目ほど市場任せではない。多様化にはインフラ、巨額投資、そして日常的には最安でない能力も必要になる。

最も有用な主権は、必ずしも自給自足ではない

シンガポールは脆弱性を消したわけではない。分散させたのだ。水では国土、国際協力、再利用、海水淡水化を組み合わせている。一方、食料では逆方向の限界が見える。依存を減らしたいという意思だけでは、大規模な国内生産を経済的に成立させることはできない。

フランスにとって現実的な選択は、おそらく「すべてを国内で作る」か「すべてを海外から買う」かの二択ではない。資源ごとに、どの割合は必ず国内で確保できるようにすべきか、どの割合は海外で分散できるか、そして危機の前にどの代替能力を用意しておくべきかを決めることになる。

これは自給自足を掲げるスローガンほど派手ではない。だが、主権のより堅牢な定義かもしれない。つまり、他者なしで生きることではなく、誰かが欠けたときにも選択できる力を保つことである。